GW、みなさん満喫できてますかね。


(大船渡郵便局。この数日後にはもう営業を再開してました。早!)
私は4日、内陸に買い物に行く家族に便乗して、盛岡から
やっと全線復旧した新幹線で帰ってきました。
前の往復は車だったし、今回の帰省も夜行バスだったので
一日がかりでしたが、帰京は盛岡からたった三時間。
すごいね新幹線。早いね、ピュンピュンだね。
一度目の帰省は3月27日から4月10日まで。
実家の文具店の手伝いと、亡くなった親戚一家の弔い。
市のボランティアの仕事で、各避難所へのおにぎりをつくったり、
物資の仕分け、市内の清掃などを行いました。
(大船渡駅前 市の中心部)
(市役所内。大船渡は市役所などの自治体が残っています。
一食のおにぎりの数はなんと、1万6000個です!)
二度目は4月21日から5月4日。
先送りされた学校の新学期のため、実家が担った教科書販売の仕事を。
そして、
個人的な呼びかけに応じてくださった方々から受け取った義援金を
もとに、市内の被災地区の小学生への文房具の提供をしてきました。
こちらの企画においては現時点で、10校 計1124名の子供たちに一人
600円程度の予算で学用品を配達、提供することができました。
(この取り組みについては新たにページを設けてご報告させて頂きます。)



(先月小学校を卒業し、中学の制服姿を先生に見せにきた子供たち。)
私の実家がある盛地区は海から5キロ近く離れていますが、
街の3分の2が浸水し、母校、盛小は新学期を迎える数日前まで、
避難所として機能していました。
(実家の近所、盛町田茂山地区。農協会館前)
(大船渡郵便局。この数日後にはもう営業を再開してました。早!)
市内は、ライフライン復旧作業の予想以上に早く、おかげさまで
物資も充実してきたし、当初は乾いたヘドロが粉塵となって、
メガネとマスクがないと外を歩けませんでしたが、先月半ばから
何度か降った大雨がそれを流してくれていてだいぶ改善されてきました。
ただ、水産加工工場から流された大量の魚が腐敗し、その臭いが
ひどくて相変わらずマスクが必需品です。。
ライフラインが少し復旧してたとはいえ、大船渡は水産加工を主な生業として
やってきた街です。仕事を失った人がとてもたくさんいます。
生活を保証しようにも、市自体が経済的にひどい被害を受けている中、
ボランティアや市職員がつなぎで行っていた炊き出しや物資の仕分け
瓦礫の撤去などの仕事を、市は被災者を臨時職員として大量採用し、
雇用と復旧ふたつの問題を噛み合わせ、一時的に凌いで前を見据えています。
港の回復、建設、土地計画、津波を想定すると頭の痛い事だらけで、
本当の復興には、とても長い時間と労力がかかることになりそうです。
小さな小さな力だけど、私は今後とも地元大船渡と、
被災した東北の街を見守り、応援してゆきます。
一人ではほんっっとになんにもできないけど、みなさんの
暖かい支援のおかげで、地元の街の回復に対して積極的に
活動することができています。
心から心から感謝しています。
これからもどうぞよろしくお願いします。